亡き後輩に捧ぐ私信

 クリスマスの足音が近づくにつれ、みなさんが浮き足立ってるのが分かります。嘘です。これを書いているのは11月です。クリスマスとかよくわかりません。

 最近はアドベントカレンダーなんていうイベントが流行ってるみたいです。アドベントカレンダーには今まで参加したことがなかったし、参加することもないと思ってたんですが今回こうして管理人さんの押尾さんに誘われてとても嬉しいです。でもこれはあくまでアドベントカレンダーではなくクリスマス作文集ですからね、間違わないようにしないといけませんね。(せやぞ by admin)

 マストドンのゴロツキでひっそりと生きています、矢矧るかと申します。自己紹介は特に書くこともないので割愛します。あまりSNSをやらない人間なのでマストドンでもあまり発言することがないのですが、フォローしてくださってるみなさんの日々の生活や感情を見ているのが面白いなと思っています。

 ゴロツキは名前のイメージとは違っていてなんというか居心地のいい実家みたいな感じがします。ソファで横になってスマホいじりながらゴロゴロできる、そういう感じです。押尾さんにはこんな場所を提供してくださって感謝しています。

 あんまりこういう辛気臭い話をここに書くのはどうなんだろうと思いながら、でもこの話を私はどこにも書けないのでひっそりとここに書いてやろう、そういう文章です。特にいい話はありません。ただ私の嫌な思い出を語る回です。だから読まずに帰っていただいて全く構いません。もしかしたらあまりにも内容がアレでお蔵入りする可能性もあるかもしれません。あとこれは別に何かのメッセージ性を持ったものではなく、あくまでただの思い出を語る私信です。

 ただふと、夕暮れにタバコを吸っていたら彼と見た夕陽のことを思い出したので書くことにしました。


親愛なるユーイチ君へ

 私の冬のイメージ、冬になるといつも思い出すあの景色は、11月の末の明大前です。

 でもその話をするにはもっと前の話からしないといけませんね。

 田舎の中高一貫校に通っていた私はとある部活に中2から参加しました。その部活は文化系で毎日特に活動することもないけど部室に集まって雑談しているだけの部活、でもそうやってみんなで集まって喋ってるだけで楽しい部活でした。

 中3になり副部長になった私はある日いつも通り部室の鍵を開けに行ったところ、部室の前で突っ立ってるガキを発見しました。君です。ヒョロガリメガネの君は数少ないうちの部活の入部希望者でした。初対面で何の話をしていいやら分からずなんとなくうちの部活の話をしたりなんかしていました。それが君との最初の出会いでしたね。

 新入部員は何人かいましたが1番うちの部活に入り浸り定着したのは君でした。うちの部活に入り浸るということは学校の成績も低空飛行するということです。落ちこぼればかりだったうちの部活にユーイチ君はピッタリでした。

 そして君はいい後輩でした。ある日私は君を「ユーイチ」と呼び始めました。「お母さんにもそう呼ばれてるんでしょ?」そう言って私は君をユーイチと呼んでからかっていました。でもそれがいずれ定着し、君はいつしかみんなからユーイチ君と呼ばれるようになりましたね。

 私とユーイチ君は意気投合しよく遊びました。ユーイチ君に誘われ学校の裏山に登りに行ったりもしましたね。大したことない山でしたが「ここは洪積台地なんですよ」なんてよくわからない話をしながら、学校の一帯を見渡せる裏山で夕陽を見たのはいい思い出です。

 互いに恐竜が好きだったので恐竜の話で盛り上がりもしましたね。公園でカルカロドントサウルスの話をしたことは今でも忘れられません。

 うちの部活は恒例行事として何故かカラオケによく行きました。いや、田舎なのでカラオケぐらいしか遊ぶ場所がなかったというべきかもしれません。そして私たちはユーイチ君をカラオケに誘いました。君は「カラオケに行ったことがないし歌える歌もないので」と言い断りましたが、私たちは君をカラオケに引っ張ってでも連れていく覚悟で、実際奢るからと無理やりに連れて行きました。君は特に歌う気がなかったのに歌を歌わせるとそれがめちゃくちゃに上手く、明らかに他のカラオケがうまい人間とも違いました。まあ、これは身内なのでうまいと感じただけの話かもしれませんが。でも歌詞がわからなかったりなどすることが多々ありカラオケに行ったことないんだなというのはわかりました。

 君はもともとピアノの技術があったのですがそこから歌の方に方向転換しました、「ユーイチを育てたのはワシや」と胸を張って言えるなと友達と笑っていました。

 私は母校を卒業し東京の大学へ進学、私が大学一年生、君が高校二年生だった時に君はのど自慢にエントリーし見事優勝しましたね。普段のど自慢を見ない私ですが君の優勝は見届けました。路上ライブなんかをやったりしながら君は東京の大学に進学、東京には共通の友人が複数人おり、またしても一緒に遊んだり遊ばなかったりする仲になりました。大学入学祝いに君が好きだった回転寿司にみんなで行って奢ったのを覚えています。

 よく考えると私と君の関係は一般的な先輩後輩ではなくより友人に近い関係だったように思います。

 ユーイチ君はバンドサークルに入ったりしながらソロでも音楽活動をし、TwitterやYouTubeでも活動していました。

 ユーイチ君とはその後はインターネット、主にTwitterでしょうもない絡みをするぐらいの、それぐらいの関係性でした。何個かお気に入りのツイートを貼っておきます。

 ある時なぜか「お母さんが東京に来るから一緒にご飯でも食べませんか」と言われました。行ってみるとユーイチ君のお母さんがいらっしゃって、私の同期の友人yosiと4人で居酒屋で楽しくお話をしました。その後全員でユーイチ君の家に上がり込んだ上お母さんが「酔い覚ましにビールを飲む」などという奇行を見せるなど楽しい1日でした。

 君は色盲で、ある日私が大学で習った「2つしか色を表す言葉がない言語」の話をすると君は目を輝かせて「僕もそんなところに生まれたかったっす」と言ったことは今も忘れません。

 時には同期の連中と一緒にユーイチ君のライブを見に行ったりもして、まあそんな感じの、結構充実した日々だったと思います。


 そして君が活動を続けていく中で一番大きく話題になったのはお経にハモリを入れた動画で、これはめちゃくちゃにバズりましたね、なんでバズったのか今でも私はよくわからないのですが。

 私から見て君は大学生活もエンジョイしていて音楽活動も頑張っていて、そして何をやらせても上手くまとめ上げることができる、そういったセンスみたいなものが非常に輝いて見え、後輩ではあったけれど憧れみたいな感情がありました。ハイチュウやぷっちょばかり食べていたのでああいうソフトキャンディにはそういう効果があるのかもしれません。

 でもおそらく君には君なりの葛藤があったんだね。残念ながら私はそれを察することができなかったけれど。


 2016年11月21日、ユーイチ君は自殺未遂をしたようです。

 数日後、確かアレは11月26日の土曜日だったかと思いますがyosiとユーイチと私でご飯を食べにいくことになりました。あれは明大前のガストだったかと思いますが、二人で飯を奢りました。あんなことがあった後ですが深刻な話をするわけでもなく他愛もない雑談に明け暮れ、特にyosiが自転車でいろんなところに行ってはバカみたいなことをした話が最高で、高校時代の部室に戻ったかのような時間でした。

 その後は君に歌いたいかどうか聞いて、歌いたいというのでカラオケに行って徹夜で歌い明かしました。当時私たちは22歳、大学4年生で徹夜で遊ぶなんていうのもかなり久しぶりで、喉が枯れるぐらいまで歌い続け、空が明るくなってくる頃にカラオケ店を出ました。徹夜明けに明大前のなか卯に行って食べた親子丼が沁みました。徹夜明けにはあれが効くんだよね。

「あんまり無理しないでね」

 私はそう言って彼らと別れ、家に帰りました。時系列的に言うとそんなことがあってからお経のハモリ動画がバズったので、私としては君の努力が一つある意味では報われたのかなと思って素直に嬉しかったのを覚えています。


 2017年の3月1日。当時私はメンヘラの彼氏と付き合っていて彼氏にTwitterをすることを禁止されていたので全くTwitterを見なくなっていました。大学の卒業も控えたこの時期、メンヘラに引っ張られて私もメンヘラになっており、家族からの連絡をガン無視していたのですが祖母からの「ユーイチ君が亡くなった」とのメールで私は衝撃を受けました。特に涙はなかったです。何も実感がなかったから。

 後から話を聞けば2月ごろにユーイチ君は一人で私の実家に来てどうもテレビをぼーっと見ながらずっと一人でいた時があったようです。私は高校時代祖母と一緒に住んでいてよく私の家は友達がよく遊びにきていました。その流れでふらっと遊びに来たようですが、当時私は実家にはいませんでした。そしてこれも私は家族からの連絡を見ていなかったので気づけませんでした。

 私は久しぶりにTwitterを開くと、DM欄に通知が一つ。見てみるとユーイチ君からのもので、2月中に届いたものだったと記憶しています。内容は「先輩、久々に遊びませんか?」とのものでした。私はこれに本当にショックを受け、自分を責めました。この時ばかりは泣きました。

 彼氏には「自分のせいなんかじゃない、そんなこと考えるのは烏滸がましいことだ」とは言われましたが、私にはどうしても自分のせいではないとは思えませんでした。そんなこともあってそこからは自暴自棄というか、彼氏とも共依存するような関係性になってしまいました。大学の卒業式もそんなメンタルの状況ではなく欠席してしまいました。申し訳ないことをしてしまったなと思います。

 君のお葬式は家族だけだったため参加できませんでした。結局君に会ったのはあの11月の末が最後になってしまったね。

 たとえ過去を変えることなんてできなかったとしても、あの日ちゃんとあのDMに気づいていれば、と思うことは度々あります。

 私が好きな熱海の捜査官で「どんな選択肢を選んでも結局は同じ結論になると僕は思う」とオダギリジョーが言っていましたが、そのセリフを噛み締めていました。

 結局君がなぜ死んでしまったのか、私たち友人も、それどころか君の家族すらもわからないようです。だからわからないものはわからないことにして、ただ君の死を悼むことに徹しようと決めました。だから地元に帰ったら私は君の墓に参っています。そうです、いつも参ってるのは私です。

 そしてメンヘラ彼氏と別れ、その後多くの人間関係を絶ってしまいどん底に落ちた私はユーイチ君のためにも死ぬわけにはいかないということにどん底で気づきました。強く生きて、君が見ることができなかった景色、君に見せたい景色を少しでも見よう、そして善く生きようと思い、胸を張って生きていけるよう、今を頑張っています。

 いろいろなことがあったけど、君は今でも私の誇りの後輩です。君と出会えたことを神に感謝しています。

君の先輩兼悪友、K.Nより。


以上、これが私の冬の思い出でした。もう少しハッピーになれる話を今度は書きたいと思います。

※この話は全てフィクションかどうかはあなた次第です

Gorotuki's Christmas2020

アドベント・カレンダー… というと、書かなきゃ!ってなるので 超ゆるい、てきとう作文集にしました。 みんなDMで送りつけてきて?(笑) 去年のクリスマス作文集はこちら http://squid999.html.xdomain.jp/adcare2019.html